そらちさんからの投稿です。
皆様、おはようございます。
今回は連続ドラマ第24回から、最近発見したばかりのロケ地をレポートいたします。
長くなりますが、よろしければお手隙でお付き合いください。
令子の葬儀後、街を歩いていた純と螢は、工事現場になっている恵子ちゃんの家を見つけます。
純が「恵子ちゃんの家が消えていた。恵子ちゃんの家がどこにもなかった」と独白した直後、「純じゃないか」という声が。振り返ると小川先生がそこに(このシーンのロケ地は、くまげらさんが当シリーズ第11弾で紹介されています。)
3人は高台の公園に向かい、体育座りで会話します。
小川先生は、恵子ちゃんがアメリカに行ったこと、純の同級生たちが夜遅くまで中学受験の勉強をしていることなどを話しました。
そして、純から令子の死を聞いて「教育熱心ないい母さんだったよな。教育熱心だし、きちんとしてらしたし、きれいだったし・・・」と先生の話が続く中、純のモノローグが入ります。
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さびしかった
何がかわからない。だけど・・・さびしかった
母さんのことをいわれたからもある。恵子ちゃんの話をきいたからもある。だけど・・・。この先生を・・むかし好きだった。だけどいま先生が・・違ってみえた
きっと先生が変わったンじゃない。ぼくの方が変ったンだ。きっとそうだ
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(『北の国から・後編』より)
このシーンのロケ地は、目白台1丁目遊び場(文京区目白台1-16)という公園です。
下の写真は1981年撮影のドラマ映像(1枚目)です。

今の現地の様子(2〜5枚目)です。




40年もの月日の経過とともに街並みが随分変わっていて写真もひと目では判りにくいと思いますので、特定した根拠を整理すると以下の6点が挙げられます。
1️⃣写真1枚目、スモッグで霞む空の中、遠景にうっすら見える高層ビル群の影➡︎写真2枚目の遠景の新宿の高層ビル群(左側に新宿センタービル・損保ジャパンビルの固まり、隙間を挟んで右側に野村ビル・三井ビル・住友ビルの固まり→いずれも1970年代に完成)の輪郭と一致している。
2️⃣写真1枚目、右側の高層ビル群の影の下、近景で目立つ水道タンクの奥、中景に見える水道タンクのあるマンションの形➡︎写真2枚目の中景、2つの大きいマンションに挟まれた古いマンションの形と一致している。
3️⃣写真1枚目、近景の純たちが座る斜面の下に公園が続いていて右側に街灯や樹木が見える➡︎写真2枚目の概ね同じ場所に低い街灯と枝を切られた樹木があり、下に公園が続いている(写真3枚目)。
4️⃣ドラマ映像のカメラが回り込みながら純にクローズアップするシーンで、背景に映り込むスピードを出す車が通行する幹線道路らしき道➡︎この公園前を通る目白通り(写真4枚目)と距離感、交通量ともに一致している。
5️⃣4️⃣のシーンで画面右手の隣接地との間に見える特徴的なデコボコの煉瓦の壁➡︎今の同位置の壁は生垣になっているが、右隣にある某女子大の他の場所の外壁(写真5枚目)とデザインが類似している。
6️⃣文京区役所のHPによれば、この遊び場は1975年6月10日に開園➡︎撮影の6年前からこの公園はここに存在(JJさんからの情報)。
ドラマを観ていて、これはあの公園では!と直感し、現地を何度か調べたところ、一致点は多々あるものの、新宿との距離感が違うように感じられ、諦めかけていました。
しかし、当グループの凄腕ロケ地ハンターコウタさんからお聞きした望遠効果の話をヒントにアングルを工夫して再撮影し、JJさんとくまげらさんに御確認いただいて特定に至りました。
同志の皆様のお力添えに感謝申し上げます。
蛇足になりますが、私がこの公園と直感したのには訳があるんです。実はこの場所、25年前に私が妻を連れてきてプロポーズした公園だったのです。夜景がきれいでとっておきのスポットでした。
あの高台の公園が、まだ幼かった純と螢が来たロケ地だったという大発見。我々の立ち位置も純たちがいたのと同じ辺りだったように思います。私の人生の一場面と北の国からの一場面がこの場所で重なっていたとは!このドラマを愛する私にとってこんなに嬉しいことなく、奇跡に他なりません。
この奇跡、きっと喜ぶに違いないと妻を呼び、「凄いことが判ったよ!ちょっとそこに座って、落ち着いて聞いて!なんと実はね・・・」と盛大に発表すると、「ああ、あの公園ね。そうなんだ、ヘ〜っ。えっ、それだけ?」と、私の人生と北の国から愛をへし折るような反応が・・・。
そりゃあ・・・ないじゃないか、かあちゃん!😭
長文へのお付き合い、ありがとうございました❣️