’92巣立ち

前編
 一昨年から父さんは大工の棟梁の元に弟子入りをしていた。父さんは中畑木材の土場の倉庫で愛犬アキナと暮らしていた。私が旭川の看護学校を卒業し富良野の財津病院に勤める日を心待ちにしていた。
 私は旭川から勇ちゃんが住んでいる帯広に通った。帯広には私の青春があった。帯広に行くには富良野で列車を乗り換える必要があった。私は父さんの元に帰らないことを後ろめたく感じていた。帯広では勇ちゃんの仲間が明るく出迎えてくれた。勇ちゃんは私に卒業後は札幌の病院に勤めながら正看の資格を取るよう勧めてきた。帯広からの帰りの列車で正吉くんに会った。正吉くんは自衛隊で働いていた。
 富良野のへそ祭りの日に雪子おばさんに会った。雪子おばさんは大介を連れて富良野に来ていた。雪子おばさんを見送った後、私は家に来ないかと言う父さんに嘘をつき、勇ちゃんの伯父さんのいるプリンスホテルに向かった。父さんは正吉くんと2人で家に帰った。正吉くんは昔迷惑をかけたと父さんに封筒に入れた現金を差し出した。「本当の息子だと思ってますから」という正吉くんに感謝し、父さんはお兄ちゃんのことを想っていた。

 お兄ちゃんは東京のガソリンスタンドで働いていた。ピザ屋の配達をしていたタマコさんが駐車違反のキップを切られそうになっているのを助けたことから、お兄ちゃんとタマコさんは親しくなった。お兄ちゃんとタマコさんはビデオ鑑賞という共通の趣味をもっていた。やがて2人は渋谷のラブホテルでビデオ鑑賞会と称した逢瀬を重ねるようになった。

 秋になり、富良野では草太兄ちゃんとアイコさんの結婚式が八幡丘の草原の中で行われようとしていた。嫁不足に悩む青年会が主催しテレビの取材も呼んだイベントだったが、妊娠していたアイコさんはトラクターに乗せられ流産してしまった。

 

後編
 タマコさんから「妊娠したかもしれない」と言われ、お兄ちゃんは何もできず不安な日々を過ごしていた。結局、タマコさんは中絶手術を受けることになった。病院にかけつけたお兄ちゃんは激怒したタマコさんの叔父さんに殴られ、富良野の実家の連絡先を聞かれた。東京に駆けつけた父さんとお兄ちゃんは、かぼちゃを手土産にタマコさんの叔父さんが営んでいる豆腐屋へ向かった。父さんとお兄ちゃんは土下座して謝るが、タマコさんの叔父さんに「誠意って何かね」と言われ深く考えるようになった。

 麓郷に帰った父さんは、皮むきの済んだ丸太を売りそのお金をタマコさんの叔父さんに送った。驚いてその理由を聞く棟梁に父さんは「誠意ってやつさ」と答えた。父さんは「やるなら今しかねぇ」と歌い、石で家を建て一人で井戸を掘ると中畑のおじさんの前で宣言した。
 11月末のある日、タマコさんがお兄ちゃんの前に現れた。タマコさんは父さんから送られた100万円をお兄ちゃんに渡すと「東京は卒業する」と言い残して鹿児島に帰った。

 父さんが井戸を掘っているところにこごみさんが訪ねてきた。大晦日に石で作った風呂に子どもたちと一緒に入ることを楽しみにしていると語る父さんにこごみさんは涙ぐんでいた。
 大晦日、私とお兄ちゃんが揃って帰ってくると父さんは喜んでいた。しかし私は駅に着くなり、「看護学校を卒業したら札幌の病院に就職し正看の資格を取る」ことを告げ、勇ちゃんの伯父さんに挨拶に行ってしまった。帰りの遅くなった私をお兄ちゃんは迎えに来てくれた。その間に父さんは、現場に作った露天風呂の湯を沸かしに出かけるが、誤って木材の下敷きになって動けなくなってしまった。
 いつまでも戻らない父さんを心配したが、私とお兄ちゃんはどこに行ったか分からなかった。棟梁が現場のことを思い出し、私とお兄ちゃんの3人で山にかけつけた。父さんが一命を取りとめたのは「運がよかった。犬のアキナがいたから助かった」とお兄ちゃんは言った。棟梁の金次さんは現場にあった針金やスコップを指さし「これは運じゃない、あいつは自分で生きたんだ」と諭すのだった。
 父さんのことを考え富良野に残ると言う私に「そんなことをしても父さんを傷つけるだけだ」というお兄ちゃん。札幌に発つ私を見送り、お兄ちゃんは富良野に戻ることを決意していた。

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