倉本聰対談集「みんな子どもだった」エフジー武蔵

BS–TBSで放送されていた「みんな子どもだった」の対談をまとめた本です。津川雅彦さん、加藤登紀子さん、山田太一さん、戸田奈津子、小菅正夫さんと5人の方との対談が載っていますが、今回は特に山田太一さんとの対談内容を紹介します。
山田太一さんといえば、倉本聰さん、向田邦子さんとともに「シナリオライター御三家」と言われ一時代を築いた脚本家です。「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」などご覧になっている方もいらっしゃるかと思います。
1981年10月から金曜日夜10時にフジテレビで放送された「北の国から」。
山田太一さん脚本の「想い出づくり。」も当時金曜日の夜10時からTBSで放送され、「北の国から」の裏番組だったという話、この本にも書かれていますので少し紹介したいと思います。
長峰 おふたりが脚本家になられて、意識し始めたのっていつ頃ですか?
倉本 もちろん意識してましたよ。常にリスペクト(尊敬)してましたよ。
山田 倉本さんって凄いなぁって思ってました。参考になるんですよ。自分がどういう作風なのかっていうのも分かる。
長峰 そしてついに1981年に、『北の国から』と『想い出づくり。』が直接対決!
倉本 ダブってたやつね。あれはね、『北の国から』が先に決まっていたンだけど、TBSがぷつけてきたンです。TBSって根性の悪い局なンです(苦笑)。
山田 (大笑)。
※倉本聰対談集「みんな子どもだった」エフジー武蔵 P175〜P176より引用
BS–TBSの対談番組なのに…さすが倉本先生ですね(笑)
お二人の話は続き、視聴率のこと、当時ビデオが普及してなかったので視聴者はどっちを見るか真剣に選択したこと、倉本先生は山田太一さんが送ってくれたビデオで『想い出づくり。』を見たこと、お二人ともお互いの作品が勉強になったことなどを話されています。
また、『前略おふくろ様』は、山田太一さんの『それぞれの秋』のナレーションに刺激され書いたそうです。『前略おふくろ様』の三郎のナレーションから『北の国から』の純のナレーションへとつながっていて、そのもとになったのが山田太一さんの作品というのも興味深い話でした。他にも幼少期の疎開のことなど同世代のお二人の話が載っています。
出典元を忘れてしまいましたが、山田太一さんが富良野塾を訪れて講義をされたこともあったようです。そこで山田太一さんがどんな話をされたのか?にも興味が湧いてきます。
『北の国から』の地上波再放送が全国展開中ですね。
12月5日(金)からBS–TBSで『想い出づくり。』も再放送されるようです。見てみようと思っています。
【参考サイト】
「みんな子どもだった」エフジー武蔵
https://kura634.jp/books/products/detail/233
「みんな子どもだった」BS-TBS
https://bs.tbs.co.jp/minnakodomo/index.html
「想い出づくり。」BS-TBS
https://bs.tbs.co.jp/drama/omoidezukuri/


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